未熟な自分、後悔の過去
「あの時、ああすれば良かった」という場面や決断が、
人生の中で何万回あっただろうか。
小学校の頃のあの時、高校時代のあの場所、というように、
私たちは、遠い過去のことでも、
「ああすれば良かった」という場面を鮮明に思い起こすことができる。
未熟な自分、後悔の過去である。
「あの時は、あれでよかった」
「ああいうふうにしかできなかった」という現実があって、
今の自分を納得させられるのであれば、何ということもないのだが、
多くの場合、「あの時の未熟な自分」が
心の中にずっと居座ってしまっているのだ。
普通人の場合、「ああすれば良かった」という後悔は、
多岐にわたっていて、その後悔が、今の自分を大人にしてきたと言えるが、
パチンコ依存症の場合、
「あの時ああすればよかった」「ああしなければ良かった」ということが、
ある一点、つまり、パチンコ人生にだけ集中しているのだ。
現実には、バラエティに富んだ人生だったはずなのだが、
依存症になってしまえば、パチンコ人生だけに後悔が集中してしまうのだ。
そういう意味でも、パチンコは、人生の軌跡を狂わせてしまうのだ。
恐ろしいことだ。
心もからだも、つまらない人生になっちまうよ。
あなたの町にパチンコ屋がいくつあるか知らないけど、順位をつけてご覧よ。
または、あなたが徘徊する(徘徊していた)パチンコ屋に、順位をつけてご覧よ。
その順位から、何が分かる?
その順位は、あなたがパチンコで勝てた順なんだよ。
負けたけど、キレイナなトイレだからいいとか
負けたけど、従業員の態度が洗練されているからいい、
とかいう基準じゃないはずだ。
「何でもいいから、勝てる(勝てた)順に、ランキングがついていくんだ。」
つまりね、パチンコっていうのは、お金だけの世界。
トイレのキレイさとか、従業員の態度とか関係ない世界。
お金が一番、お金以外関係ない世界。
人間の性格も、情感の豊かさも、やさしさも、学力も、
なんにも関係ない世界なんだ。
弱肉強食の世界に対抗する共存の考え方
二日間、ブログを更新できなかったら、とたんにランキングが下がった。
非情なものだ。
ここ10日間といもの、ウルトラ忙しくて、
睡眠時間も一日2~3時間しかとれなかった。
で、一昨日からとうとう体力がなくなって、
時間もなくてブログの更新を断念せざるを得なかった。
まだ、忙しさを脱却していないが、、少し時間がとれたので、
あわててブログを書いている。
さて、冒頭、「非情なものだ」と書いたが、ブログのランキングも非情なら、
依存症に対する世間の眼も非情なものだ。
昔、弱肉強食の世界に対抗する共存の考え方が脚光をあびたこともあったが、
今のこの世には、共存や共和が生きていける余地はない。
「どうしたら、他人より幸福になれるか」
「どうしたら、他人より儲けられるか」
「どうしたら、他人に負けないで生きていけるか」
・・・要するに、自分だけなのだ。
・・・要するに、この世は、パチンコ屋の中と同じなのだ。
もちろん、個人的には、違う生き方をしている人も多いが、
たくさんの人が、パチンコ人とスレスレなのではないのか。
今の私は、本気でそう思う。
パチンコのパの字もない世界
昨日は、朝までに、どうしてもやり切らなければならないことがあって、徹夜した。
でも、結局、間に合わなくて、ギリギリまで仕事をしていて、
今朝はブログを更新することができなかった。
おまけに、午前中からお祝い事があって、
眠い目をこすりながらその会に参加していたので、更新が今になってしまった。
寝不足の上、昼間からのアルコールのせいで、
頭痛がひどくて、さっきまで休んでいた。
バファリンをのんだら、頭痛が少しおさまってきたので、
今日のブログを今から書くことにする。
にらまれるブログ
思いがけない利益や幸運を望む心
パチンコ屋の中は、当たらないスーパーリーチだらけ。
うそつきスーパーリーチのオンパレード。
ただ騒がしいだけ。
こんなすごいリーチが来たんだから、今度は当たるだろうと思っていても、
最終場面でコロリとはずれる。
パチンコ屋のコンピューターに遊ばれ、
事務室(管制塔)で望遠カメラの画面を見ながら
ニヤついているかもしれない上級従業員にコケにされ、
挙げ句の果ては、サイフの中がスッテンテン。
まったく、よくあるパターン。
だけど、「よくある」ってことは、年がら年中ということ。
所々の少しの台を出ているように見せかけて、
あとのほとんどの台は、回収、回収。
パチンコ人は、今日も、涙の出ない泣きっ面。
小利口なパチンコ屋が、アホなパチンコ人に、
毒々しいウソのスーパーリーチをばらまきながら、今日も大忙し。
なんたって、師走。
師走は、儲け月、だまし月間だものね。
3万円のおせち料理
ここに「おせち料理」のカタログがある。
「おせち二段重 22,000円」 コレは高いのか安いのか?
答え、安い。
それでは、「おせち三段重 30,000円」
コレは高いのか安いのか?
答え、当然、安い。
毎日、パチンコ屋に行って、
ドブにお金を捨てるように負けてくる依存症のあなたにとって、
30,000円なんて、たいしたことはない金額だろう。
一日2万円負けて、20日間通えば、一月で40万円の負け。
一年間で、480万円の負け。
依存症のあなたにとって、おせち料理なんて、実に安いものだろう。
こんなステキな「お重」を家族にプレゼントしたら、
さぞかし、みんな大喜びだろうな。
でもね、あなたには、買えないのだ。
あなたにとって、実は安すぎるおせち料理を、
実際には買うことができないのだ。
あなたは、すべて負けてしまって、借金しか残っていないのだ。
500円の弁当だって、買えないのだ。
私が言うことは、当たっているでしょ?
パチンコは、あなたのすべてを壊す。
私は、ずっと、そう言い続けてきた。
なのにあなたは、まだパチンコを続けている。
愚かだ。
パチンコは、あなたの心を壊す。
あなたの経済を壊す。
あなたの家族の絆を壊す。
あなたの夢を壊す。
あなたの健康を壊す。
パチンコは、あなたのすべてを壊す。
ねえ、あなた。
あなたがパチンコ狂いをしなければ、
今度のお正月には、三万円もするおせち料理が、
あなたの家の食卓に並んでいたんだよ。
本当に、パチンコをやめな。
あなたが、パチンコで、バカみたいにドンドン負けてくれるから、
今度のお正月には、あのパチンコ屋の食卓に、
三万円もするおせち料理が、当たり前のように並ぶんだよ。
バカだな、あなた。
くやしいな、あなた。
パチンコなんて、やめな。
立候補しているみなさん、日本の依存症をどうするんですかあ?
(風邪引いて寝込んでいたので、更新が今になってしまいました。)
さて、『国の行方を問う』衆議院選挙が始まった。
経済・安保・原発・などなど幅広い争点があるという。
しかし、ねえ、立候補しているみなさん、
日本の依存症をどうするんですかあ?
パチンコ議員もたくさん立候補しているけど、
「パチンコ依存症」をどうするんですかあ?
経済や安保や原発も一生懸命取り組むけれど、
ギャンブル依存症にも全身全霊で取り組みますっていう議員さんは、
いないんですかあ? いるんですかあ?
この世には、大切なことがたくさんあるけど、
一点がよくなれば、例えば、経済がよくなれば、
他のこともそれにつれてよくなっていく、なんてことは、ウソ。
政治課題にして、予算をつけて取り組まない限り、
依存症なんて撲滅できないのだ。
もう一度言います。
今回の衆議院選に立候補しているみなさん、
「パチンコ依存症」をどうするんですかあ?
「ギャンブルをするドア」を開けますか?「ギャンブルをやめるためのドア」を開けますか?
パチンコ依存症者であるあなたは、
自分が依存症だなんて、これっぽっちも思っていない。
だから、依存症だなんて言われると、
極端に反応して、必要以上に強く否定する。
だが、問題は、
『必要以上に」強く否定するのは、なぜなのか?ということだ。
もしかしたら、あなたは、
自分が依存症傾向にあるのではないかと不安に感じ、
震えているのではないか?
暗くて、つらい中で、発覚をおびえているあなた。
それこそが、依存症なのではないか?
だったら、自分と、きちんと向き合えよ。
今が、その時だよ。
この国は、戦争で滅びるのではなく、パチンコで滅びる。
日本の冬、故郷の冬、我が家の冬。
依存症者の冬は、ただの冬。
依存症者には、季節を感じ、季節をめでる情感などない。
冬は、ただの暗い冬。
あなたの冬、あなた方の冬、私の冬。
嫌われ者の冬、恥ずかしい冬、パチンコ通いの冬。
伸びない冬、汚い冬、パチンコ人の冬。
寒いだけの冬、涙も涸れてしまっている冬、あなたの冬。
苦しい冬、だまされる冬、依存症者の冬。
人間の底辺をなめて、
人生の愚かさを吐き続けるだけの冬、依存症のあなたの冬。
冷たいイライラ、うしろめたい沈黙、背中を丸めるだけの冬、
重傷パチンコ人の冬。
冬が来ても、春が来ても、いいことは何もない。
希望を持たないパチンコ人。
希望を持てないパチンコ人。
この国は、戦争で滅びるのではなく、パチンコで滅びる。
すぐに、あなたの精神の中のパチンコを廃止せよ。