息子が、塾をやめると言う。
何故かと問うと、我が家には、自分を塾通いさせてくれるほどのお金がない。
いつも家族の誰かが、お金がない、お金がないと騒いでいる。
自分が塾をやめて、少しでも出費を減らせば、お金がないと言って騒ぐ回数が減るだろう。
だから、塾をやめる。
この言い分を聞いて、二の句がつげなかった。
また、涙が出そうになった。
だから、トイレに入って泣いた。
ヒドイ父親。
情けない人生。
哀れな大人。
恥ずかしい生活。
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こうやって、家族の絆が壊れていく。
息子は、おそらく知っている、この家にお金のない理由を。
息子は私に、背中を向けて「塾をやめる」ことを告げた。
決して、私の顔を見ようとはしなかった。
消えてなくなりたいと思った。
依存症にハマった家族は哀れなものだ。
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《地獄を抱えて生きていく人の群れ》 (2014.10.1の私のブログ)
「葬列」という言葉がある。
葬送のために遺族や近所の人や関係者が行列を組み、
遺体を火葬場や墓地に運んで行くことである。
「野辺の送り」とも言う。
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私は、朝、開店前のパチンコ屋に並んでいる人の列を見るたびに、
「葬列」という言葉を思い出してしまう。
彼らは、誰を運んで行くのだろう?
きっと、自分の魂に違いない。
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今日も、地獄を抱えて生きていく人の群れが見える。
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パチンコに依存していた過去は重たい。
普通に歩いていても、
急に後悔の念が湧いてきて、どうしようもなくなってくる時がある。
死んでしまいたいと思うけれど、
まだ人生に少しだけやりたいことがあるから、この世に踏みとどまっている。
過去を捨てて、明日を生きることの難しさ。苦しさ。
毎日毎日、「もう、ダメだ」と思うことが何度もある。
これは、私とあなたにしか分からない地獄。
私もあなたも、きっと地獄へ行く。
生きていても地獄、そして死んでからも地獄。ずっと地獄。
この頃、ふっとそんなことを考える。
しかも、強く強く考えてもしまう。
人を裏切り、自分を裏切り、主義を捨て、真面目な時の努力も水泡に帰してきた過去。
あなたと私の過去。
人間は、やり直しがきくというが、私には信じられない。
きっとあなたも、信じられないと言うだろう。
過去を捨てて、明日を生きるというのは、理屈の世界。
過去の行為が、ずっと続くというのは、情念の世界。
朝、目が覚めると、「あっ、生きている」と思ってしまう。
依存症地獄。ギャンブル依存症地獄。パチンコ依存症地獄。
今日も、地獄を抱えて生きていく人の群れが見える。
私もあなたも、その群れの中にいる。
誰にも言えない地獄。言ってはならない地獄。
北にも南にも、東にも西にも、その群れが、醜く蠢きながら地べたを這って行く。
この生きている地獄をつくり出したのは誰?
つくり出したのは、私とあなたとあなた方。
そ し て、 パチンコ業界と利得者である君たち。
君たちには、地獄は見えない、きっと。
君たちは、今晩も笑いながら勝利宣言をし、高い酒を飲む。
私とあなたは、今晩も泣きながら、泥を噛む。
辛いなあ。苦しいなあ。悔しいなあ。
人並みの普通の生活をしたいなあ。
この日本から、パチンコを無くそう。
パチンコという言葉も無くそう。
パチンコという「地獄製造機。」
パチンコ業界という「依存症者生産工場。」
その「地獄製造機と依存症者生産工場の守護神、政治屋と利得者。
そして、ギャンブルに支配される日本国民。
私たちの美しい日本からパチンコを無くそう。
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パチンコ屋に行くな。
絶対に行くな。
パチンコは、日本人の精神と肉体と家庭を潰すぞ。
パチンコをしてはいけない
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再び、合掌 (2017.4.27)
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