人のためになっているか。喜ばれているか。
今日は、視線を上げて歩こうと思う。
今日も昨日と同じように重たくてつらい一日だろうが、
今日は、視線を上げて歩こうと思う。
何か美味しいものを食べよう。
本屋にも行こう。
愛犬も散歩に連れてってやろう。
元気に、ならなくちゃ。
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パチンコというモノが、この世に登場してからどのくらいの数の人間たちが、
おのれの生活をダメにしてきたのだろう。
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暑い暑い、とつぶやきながら、あのパチンコ屋の前を通った。
その時、偶然ドアが開いて、あの娘(従業員)と一緒に心地よい冷気がさっと流れ出てきた。
冷気を浴びた私の肉体は、喜んだが、冷気を感じた私の脳みそは、非常に苛立ってきた。
様々な店で、電力節約のために温度調節をしてモラルも経済も守っているのに、
パチンコ屋は、やりたい放題だからだ。
途端に、その娘の顔が、醜い金盗り婆あのように見えてきた。
その娘が温度を決めているわけではないが、
「朱に交われば赤くなる」「パチンコ屋で育てば、醜くなる」のだろう。
だけど、あれだけ涼しければ、
ついフラフラっと店の中に入ってしまう人もたくさんいるんだろうと思う。
パチンコ屋は、儲けるためには何だってやる。
その醜さや騙し方に気づいている者は、パチンコ屋の前を通るたびに、
「ああ、この魔の館から逃れてよかった。」なんて思うけれど、
まあほとんどの者は、騙されていることも知らないで膨大なお金をまき散らしている。
職業に貴賎はないけれど、
この世の基本は、《人のためになっているか。喜ばれているか。》ということだ。
とすると、
言っては申し訳ないけれど、パチンコ屋は、人のためになることを何もしていない。
していることは、依存症と悲劇の生産だけだ。
彼らは、自分のことしか考えない。
儲けのことしか頭の中にない。
昔、資本主義という儲けの仕掛けをつくって儲けた資本家には、それなりのモラルがあった。
儲けの一部を社会のために使った。
孤児院をつくり、公園をつくり、劇場をつくり、食料の施しをした。
それでも、資本家たちは、貧民層から尊敬されることはなかった。
彼らは、全部の民から尊敬されることはなかったけれど、最低限のモラルだけは持っていた。
最低限のモラルとは、
《 儲けの何割かを社会に還元する。
自分の企業が、社会に役立っているかどうかを、定期的に考える 》ということだ。
言っては、申し訳ないけれど、パチンコ屋には、それがない。
全然ない。
大手のパチンコ屋は、美化活動をしたり、寄付をしたりしているけれど、
その原資は、全て客から奪い取ったものだ。
奪い取るという表現がダメなら、射幸心を煽って狂わせて出費させたものだ。
つまり、パチンコ屋という商売の必然として、
パチンコ狂いをつくり、パチンコ依存症をつくり、
社会に適応できないパチンコ人を次々につくりだすことによって、
儲けを得ているのだ。
ああ、パチンコというモノが、この世に登場してから
どのくらいの数の人間たちが、おのれの生活をダメにしてきたのだろう。
哀しく、辛くなる。
今の日本には、550万人のギャンブル依存症者がいる。
そのうちのほとんどがパチンコ依存症者だ。
依存症の予備軍を含めると、1000万人になるという。
すごい数字だ。
平成23年度調べで、全国のパチンコ屋の数は、12,323店舗だ。
5,500,000人の依存症者 ÷ 12,323店舗=446.3人
うわあー。
パチンコ屋一軒で、446人も依存症をつくっているんだ。
すごい、すごいことだわ。
あのねえ、2012年2月13の保健関係のニュースで、
インフルエンザ患者数が211万人を超えたと言って大騒ぎしているんだ。
211万人ですよ。
パチンコ依存症者がほとんどを占める、ギャンブル依存症者は、約550万人だよ。
この数字のすごさが分かるよね。
私たちの日本からパチンコ屋を無くそう。
日本人の平和と幸せのためにパチンコ屋を無くそう。
これは、私と、あなたと、あなた方の、悲願だよ
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今日も、パチンコ屋には行きません。
あなたも私も、パチンコ屋の餌食にはなりません。
我慢します。
パチンコに背を向けて、視線を上げて歩きます。
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