負ければ、明日から生活できないとしても [パチンコ依存症 パチスロ依存症]
負ければ、明日から生活できないとしても、やっぱりパチ屋に行ってしまうパチンコ人。
そういう事実を知れば知るほど同情なんてできないよな。
だけど、依存症のパチンコ人は、パチ屋に行ってしまうんだ。
彼らの内面にはパチンコしかないんだよ。
食べたいものなんてない。
口に入って腹いっぱいになればどうでもいい。
着たい服なんてない。
暑くもなく寒くもなく、普通に着れれば何でもいい。
読みたい本なんてない。
せいぜいコンビニに行って、パチンコ・パチスロの雑誌を見るだけ。
肉体が満たされるとは、腹がいっぱいになること。
心が豊かになるとは、財布に勝ち金が増えること。
いい日とは、誰にも邪魔されずに、バンバンお金を使ってパチンコにのめり込める日。
夢なんてない。
あえて言えば、毎日パチンコで稼げるようになること。
ねえ、これが人間かい?
毎月決まった収入があるのに、入ったとたんに消えていく。
前月のさまざまなツケが大きくて、給料が入ったとたんに赤字になる。
もう、どうしようもない。
お金がなくて、毎日が虚ろで、希望なんてなくて、
支払いのお金まで負けてしまって、泣いても涙も出てこない。
それでも生きている。
それでも人間の顔をして倒れそうになるのを必死でこらえている。
パチンコ人。
パチンコ依存症者。
パチンコ馬鹿で、パチンコ人生を送っている哀れな日本人。
そんな人々が、私たちの日本には、560万人もいる。
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ギャンブル依存症者は、限りなく欲深である [パチンコ依存症 パチスロ依存症]
パチンコ・パチスロ依存症者は、間違いなく欲深・強欲である。
そして、金銭感覚のない人である。
パチンコやパチスロを含めて、「ギャンブルは、ロマンだ」と言った人がいるけど、
ギャンブルは、ロマンではない。
勝てるかもしれない。
勝てるだろう。
勝ってみせる。
なんて思ってパチ屋にお金を捨ててくることが、ロマンであるはずがない。
たまに勝った時の高揚感をロマンと勘違いして、
パチンコ・パチスロに溺れる自分を正当化しているだけなのだ。
パチ屋は、何でもありだ。
本当に何でもありだ。
儲けるためには、パチ屋は、何でもやる。
これでもかというほどの仕掛けを作ってくる。
長い間パチンコにハマれば、必ず負ける。
そして、自己崩壊をする。
その具体例は、過去いくつも書いてきた。
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パチンコ依存症のブログを書くのは辛い。
だけど、
一人でもこのブログで救われる人がいれば、・・・そんな思いで書いている。
ずっと休んでいたけれど、今日からまたこのブログを始めようと思う。
とにかく、元気を出さなくては……………。
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