パチンコ人の死体の上にある祝杯グラス [パチンコ依存症 パチスロ依存症]
パチ屋の駐車場にすごいスピードで入ってくるバカがいる。
1秒でも早く狙った台を打ちまくれば勝てるからと思ってすごいスピードで入ってくる。
この瞬間の彼奴の脳の中には、「打ちたい、打ちたい」というドロドロしかない。
パチ切れ、毒切れの状態なのだ。
もう完全な依存症。
「やりたいことは?」
パチです。
「希望は?」
パチで勝つことです。
「もし勝ったら、そのお金はどうするの?」
とりあえず美味い物食って、あとは、次のパチの資金にします。
「で、次のパチで負けたらどうするの?」
いやあ、ぼろ勝ちした時には、次に負けてもまだ勝ち金は、残るので、それで頑張ります。
「彼女(彼氏)とかいないの?」
そういうことは、質問しないでください。
今は、そういうこと、ほんと関係ないじゃん。
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タバコの煙と騒音、そしてケバい光の束。
勝った時には、脳みそから幸せの汁がにじみ出てくる。
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パチンカーは考える。
平均して一日一万円勝てば、20日で20万円になる。
今の給料のほかに20万円プラスすれば、結構ハッピーになれるな。
たまに勝って、換金したお金を握りながら、本気でそう考える。
空想が、根拠のない現実になり、脳みそから幸せの汁がにじみ出てくる。
勝ったときの高揚感は、心臓にも脳みそにも指先にも伝わる。
だから、また、打ちに行く。
やめられない。
勝った時のパチンカーの金銭感覚には、過去がない。
たまに勝ったその日まで、どんなに負けがこんでいようが、
勝って換金したその時から、「負けのメーター」は、ゼロに戻るのだ。
勝った時から、頭の中には、新しい金銭出納帳が備えられ、
第一行目の収入欄に勝ち金額が記入されるのだ。
だから、次の日に負けても、
『昨日の勝ち金額』-『今日の負け金額』という式が成立し、
余りがある場合には、平静でいられるのだ。
なんだか、鎌倉時代の徳政令みたいだ。
勝ったその時点で、気分は「借金帳消し」になってしまうのだ。
「金銭感覚が、幼稚園生以下だ。」なんて言っても彼には、通用しない。
パチンコから立ち直るというのは、パチンコをしない人が考えるほど簡単ではない。
簡単ではないけれど、パチンコをやめて、普通の幸せを掴まなければならないのだ。
嗚呼、今日も、パチンコ屋に行かない決意を新たにしよう。
少しずつ少しずつ強い人間になっていこう。
パチンコをやめろよ。
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「あなた、あの人たちは、累々と続くパチンコ人の死体の上で、祝杯をあげているのね」
(2014.9.5のブログ)
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再々、合掌
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